特別支援の不思議な世界

高校教師だった私が特別支援学校勤務をきっかけに知ったこと考えたこと

「指先でつまむ」を育てる①

 自然人類学では,親指と他の4本の指が向かい合っていることを「拇指対向性」という。この性質は,同じく樹上生活によって獲得した直立二足歩行や平爪であることとともに,人類の進化に大きな影響を果たしたとされている。人類は,拇指対向性や平爪を有する器用な指先で作業をし,道具を使い、あるいは作るという活動の中で脳が発達していったといわれる。

 私が担当した高等部2年の生徒は,指先を使った作業がうまくできなかった。例えば,おはじきやビーズも指先で1つずつつまむことができず,わしづかみをするような状態だった。指先をうまく使うことができれば,彼のQOLは上がるだろう。またそれが多少なりとも脳に刺激をあたえるのであれば,やってみる価値もあるのではないかと考え,素人の浅知恵でやってみることにした。

 まず,親指と人差し指で物をつまむことからはじめることにした。つまめるようになるためには,指先の感覚と,指先を動かす筋肉が重要ではないかと考え,それらに刺激を与えるため、スポーツ用伸縮テープ(キネシオテープ)で中指,薬指,小指を固定し,人差し指と親指のみでいろいろなものをつまむ訓練に取り組ませた。キネシオテープを使ったのは,高校教師時代の部活動指導でいろいろなテーピングの仕方を知っていたことと,たまたまキネシオテープをたくさん持っていたからだ。使ったテープは50mm幅のものである。

 指の固定の仕方は,以下の通りである。まず中指,薬指,小指をそろえてキネシオテープで巻く。あまりきつくはしない。次に中指,薬指,小指を折るような形で軽く握らせ,手の甲の手首あたりからキネシオテープを貼り,中指,薬指,小指を包み込むように貼って親指側から手首に持っていき,手首を一周巻く。これもきつく固定する必要はない。はじめキネシオテープを使ったが,軌道にのってからはバンテージ(魔法の包帯)に変えた。テーピングの方がきちんと固定できるが,休憩時間のたびに新しく貼りなおさなければならず,めんどくさかったからだ。キネシオテープがもったいないこともあった。その点、バンテージは何度も繰り返し使え,それなりにしっかり固定できる。

 つまませるものには,ビーズを多く用いた。ビー玉からはじめ,ウッドビーズの12mm径,10mm径へと発展した。その後,アクリルビーズの8mm径,6mm径,アイロンビーズの5mm✖5mm,アクリルビーズの4mm径と順調に発展していった。2mm径のビーズにもチャレンジさせた。なかなかすぐにスムーズにとはいかなかったが,しだいにうまくできることも増えてきた。また,並行してコイン,カード,スティック(爪楊枝)など,いろいろなものをつまむことにも取り組ませた。つまんだ物は,プットインの要領で容器に入れさせた。ボトルや貯金箱状の容器,切れ目に押し込んで入れる容器などいろいろなものにチャレンジさせた。ビーズ類ははじめ取りやすいようにゴムマットの上に置いたが,その後、よりつかみにくいフェルト張りのトレイに変えた。

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 なかなか面白かったのは,コインのときだった。ゲームセンターからもってきたコインだ。しっかりした重量があり,机にぴったりついているので,人差し指と親指だけではなかなかつまめなかった。20分程,試行錯誤しているうちに,たまたまコインが机の端の方に移動し,人差し指でコインを机の端まで引っ張っていってつまむ方法を発見した。生徒自身が発見したのである。ファインプレー。拍手喝采である。私はじっと観察していただけだ。たまたま傍にいた先生が,初めからコインを端の方において何度も練習させてみては,とアドバイスしてくれたのでやってみたところ,15分程で完全にマスターしてしまった。すごい。

 課題に取り組む集中力が持続できたのは,iPadのおかげである。彼はiPadで音楽動画を見ることが大好きだ。iPadを貸して触らせていたら、いつの間にか自分でyoutubeを開いて動画を見ることを覚えてしまったのだ。以来、iPadを貸してくれとねだるようになった。そこで、一定量の課題を完了したらiPadを貸すことにした。3~5分間だけだ。たまに10分ぐらいやらせることもある。彼は作業に集中し、トレイの中の物をすべて終えると、iPadに手を伸ばすようになった。その場合には、必ず貸し与えた。それが信頼関係であり、彼が課題に取り組むインセンティブになっているからだ。休憩をはさみながらだが,2時間半ほどで4mm径のビーズを500個ボトルに入れたことも何度かある。 

 1か月程して、3本の指を固定する方法から,2本の指(薬指と小指)を固定して3本の指(親指・人差し指・中指)で作業する方法に変えたが,トータルで1か月半程でバンテージ(テーピング)を外すことができた。たまたまバンテージが緩んでおり,それでも普通に作業し続けているのを見て,次の日からバンテージをはずしたのだ。もう指を固定しなくても,問題なく対象物をつまむことができていた。

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 物をつまむスキルを獲得したことで,作業学習でもちょっとだけだが新しいことができるようになった。これまでは新聞紙を破いたりすることぐらいしかできなかったが、ビーズやチップを小さな型の中に入れることができるようになった。このスキルを使って、UVレジンのキーホルダーづくりに取り組ませた。レジン液の中に、いろいろなものを彼がつまんで入れるのだ。

 自然人類学のいう拇指対向性をなんとか使うことができるようになった。次は,道具を使うことに取り組むことになる。