特別支援の不思議な世界

高校教師だった私が特別支援学校勤務をきっかけに知ったこと考えたこと

「速く歩く/走る」を育てる

 かつて私が担当した、動作の遅い生徒を、速く歩いたり走ったりできるようにしようとした取り組みについてである。彼は、高等部2年生で発語がなく排便が自立していなかった。

 担当する前年、なかなか歩こうとしない彼をよく見かけた。歩いてもスピードが遅く、担当の教師に背中を抱えられ押されながら歩いていた。廊下に座り込んで動こうとしないこともしばしばだった。前年の担当の教師は、静的弛緩誘導法を実践していたようだったが、目に見える形での進展はなかったようだ。私自身、静的弛緩誘導法については、簡単な研修を受けた程度で詳しくなかったが、違う方法がいいのではないかと思った。確信があったわけではない。意外なことだが、彼の骨格や筋肉、体幹がしっかりしていたからだ。

 取り組んだのは、①彼とラポートを築くこと、②動作法とストレッチ、③ウォーキング&ランニング、④ミニハードルなどを使ったトレーニング、である。

 ①《彼とラポートを築くこと》については、手をつなぐなどの身体的接触や、トーンの低い声で話しかけ、彼を落ち着かせ安心させることに腐心した。「大丈夫だよ。」などと何度も語りかけ、とにかくこの先生といれば安心だと思ってもらえるように努めた。どういう訳か、初日から座り込んだりすることなく、概ね私の指示通り動いてくれることが多かった。

 ②《動作法とストレッチ》については、途中から導入した。しっかりしてはいるが硬い筋肉に刺激を与えるためである。動作法は危険がともなう。間違うと、可動域を超えて怪我をさせる危険がある。私は手で握らず、彼の指を私の手にひっかける感じで行った。痛ければすぐに彼自身が離せるようにするためである。ストレッチは高校教師時代に部活動で行ったもののうち、できそうなものを選んだ。とくに、腕を伸ばすことと、太ももの裏側(ハムスプリング)を伸ばすことを中心に行った。

 ③《ウォーキング&ランニング》については、毎日行った。朝の運動の時間に学校中の廊下を歩いたり走ったりした。教室移動などすべての移動の際、行った。私は、決して生徒の前を行かないよう心掛けた。後ろから着いて行き、「1,2,1,2」と声を掛けた。号令の声掛けは、はじめはこちらが生徒のペースに合わせた。慣れてきたところで、少しずつ号令を速くすると生徒が合わせるようになってきた。時折、背中を押してスピードを上げることを示唆すると、スピードを上げることも増えてきた。彼のモチベーションを高めるために、iPadで好きな音楽を流しながらウォーキング&ランニングをさせたこともあった。毎日、決まった場所にくると、生徒の背中を押してダッシュを行った。もちろん、はじめは緩やかなダッシュだったが、次第にこちらが息が上がるほどのスピードになった。半年もすると、見違えるほど、速いスピードで歩いたり走ったりするようになった。歩いたり走ったりすることがある程度習慣化した後は、生徒から10~20m離れて見守るようにした。移動する場所を指定して一人で歩くトレーニングをすると、次第にいくつかの場所については、「〇〇へ行くよ。」と指示すると一人でその場所まで行けるようになった。私は遠くで見守っただけだ。彼の成長に凄いと思った。

 ④《ミニハードルなどを使ったトレーニング》については、少し遅れて始めた。主に自立活動の時間の最初の三分の一程度を使って行った。足を高く上げたり、バランスを取ったりするためのトレーニングだ。「速く歩く/走る」に役立つだろうと考えて取り組んでみた。ミニハードルをいくつか並べてより遠くへ足を運ぶトレーニングや、ミニハードルをいくつか重ねてより高く足をあげるトレーニングを行った。台を使って昇降のトレーニングも行った。遠くに足を運ぶトレーニングについては、ミニハードル5つ分までできた。高く足をあげるトレーニングについては、ミニハードル4つ分までできた。ミニハードルを組み合わせて、遠くに足を運ぶトレーニングと高く足をあげるトレーニングをミックスしてみたりもした。

f:id:hiraizumi-watercolors:20220331222400j:plain

f:id:hiraizumi-watercolors:20220331222420j:plain

 はじめは難しいかと思ったが、次々と課題をクリアしていくこの生徒に本当に驚いた。生徒の可能性について教えられた気がした。だめかもしれないと思っても、障害の所為にせず、試行錯誤しながら取り組んでみることが大切だということを教わった。

 移動の速度が上がったことで、いろいろな活動に遅刻することなく参加できるようになり、多くの経験を積めるようになった。因果関係を論証することはできないが、この生徒が移動の速度を獲得したことと並行して、手先を使ったトレーニングもうまくいくようになったのではないかという感想をもっている。