特別支援の不思議な世界

高校教師だった私が特別支援学校勤務をきっかけに知ったこと考えたこと

「視空間認知」を育てる

 高等部2年生の男子生徒を担当したときの話である。

 「円盤積み木を棒に差すトレーニング」をやっていた時のことだ(→こちら)。やっと円盤を持って棒に差すことができるようになったのだが、同じ棒にばかり差そうとするのだ。その棒がいっぱいになり、他の棒が空いているにもかかわらずである。「円盤積み木を棒に差すトレーニング」自体は、トレーニングを繰り返す中で、試行錯誤しながら、また多少バラつきはあるが、3つの棒に差し込めることが多くなってきた。

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 しかし、視空間認知については、もう少し掘り下げる必要があるように思えた。原因について本当のところはわからない。ただ、空いているところに差し込むということが理解できていないことと同時に、空いている棒が見えていないということ、すなわち視空間認知が弱いのではないかと推測した。素人の浅知恵である。この場合、「見えない」とは視覚的な障害ではなく、《注意力》や《気づき》の問題である。そう考えたのは、「円盤積み木を棒に差すトレーニング」の際、円盤を左右と上部の3つに分けて置いた場合、例えば右にある円盤を差し終えると、上部や左側に置いた円盤には気づかず、指で示すとそれに気づくことが多かったからだ。

 この視空間認知を育てようと素人の浅知恵でやってみたのは、ペグ差しである。はじめは丸いやや大きめのペグを使った。ボードの穴は30か所あったが、ボール紙で穴をふさいで10→20→30と増やしていった。思った通り、一つのペグを差し込むと2つ目以降も同じ場所に差し込もうとする。すでにペグが差されているにもかかわらずである。

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 なかなかできなかった。額に手をかざして視線を誘導したり、指で示して場所を教えたりした。手を取ってやって見せたりもしたが、なかなかうまくゆかない。何度やってもできないと、生徒のモチベーションも下がる。褒められることも少ない。指導者側もイライラしてくる。だから、時間を決めて取り組んだ。できない場合は15分でやめる。その代わり毎日取り組んだ。うまくできなかった後には、すでに彼がうまくできているトレーニングを短時間行った。もちろん、称賛した。短時間だが、ご褒美にiPadも貸してあげた。

 10か所の穴に入れることができるまで、1か月程度要したと思う。スムーズにできるようになったわけではない。彼自身、試行錯誤をしながら空いている穴に気づき、全ての穴にペグを差し込むという感じである。その後、穴の数を20→30と増やし、もう1か月程で30か所全部にペグを差し込めるようになった。試行錯誤しながらも何とか一人でできるようになったので、冬休みの宿題にもした。過大な負担のない範囲で協力してほしいとお願いしたが、家庭では積極的に協力してくれた。むしろ、息子が試行錯誤しつつも取り組み、それを達成するのを見て感動的だといってくれた。

 冬休み明け、今度は四角いペク差しに取り組んだ。今度はボードの穴に角があり、方向を合わせなければならないため難しい。特に、目と手の協応が十分でない彼には難しかったようだ。やはりボール紙でいくつかの穴を隠して、だんだん穴の数を増やしていった。ところが、今度は1か月程度で、全ての穴にペグを差し込むことができるようになった。もちろん、スムーズにではなく、試行錯誤しながら空いている穴に気づくという感じだ。ただ、その気づきは間違いなくはやくなっていった。その後、やや小さな四角いペグ差しにも取り組んだが、すぐにできた。すごいと思った。

 こうしてペグ差しのドリルはできるようになったが、それが応用され日常生活のいろいろの場面に生かされるようになったかどうかはわからない。あまり生きていないと思うことも多いし、視空間認知が生きているのではと思う局面もある。けれども、もしかしたらそれはトレーニングにかかわらずはじめからできたのかもしれない。

 生活の基礎的力の育成は難しい。基礎的なトレーニングができたと思っても、それが日常生活の諸局面で応用されるためには、もうひとつハードルがある。同じような目的をもつ、いろいろなトレーニングを経験させるしかないように思う。ただ、簡単な丸いペグ差しより難しい四角いペク差しの方が達成するスピードが速かったことは、一つの希望である。そこには若干でも《応用》の力が働いているような気がする。

※視空間認知・目と手の協応については、iPadのアプリ「振り子にタッチ」もやらせてみた。遊び感覚でやらせたが、これも一定の有効性があるように思う。