特別支援の不思議な世界

高校教師だった私が特別支援学校勤務をきっかけに知ったこと考えたこと

「社会モデル」の陥穽

 人間がもっているはずの視力、聴力、臓器の働き、運動や知的能力などの基本的な機能について、一定の基準を満たさないとき、「障害者」として認定される。その判断をするのが医学的な知識を有する医師であることから、こうした障害の定義づけを「医学モデル」という。

 これに対して、基本的機能の不全があっても、社会がそれを問題視していなければ障害とはいえず、障害者にもならないという考え方を「社会モデル」という。新しい「障害」概念である。例えば、近視の人には眼球の屈折異常があるが、眼鏡で視力補正ができるので障害者とはいわれない。色覚異常の人は異常を補正できないが、普通、障害者とはいわれない。それによって仕事が限定されることはあるが、経済的社会的活動や生活上で決定的なマイナスにはならないからだろう。

 そう考えると、生活のあらゆる場面での物理的・人為的サポートが進めば、障害者は障害者でなくなり、理屈の上では、障害による活動や参加の制約は限りなくゼロに近づくかもしれない。生活のあらゆる場面での物理的・人為的サポートとは、例えば道路や建築物のバリアフリー化、屋内・屋外の移動時の手助け、手話通訳などのコミュニケーション支援、教育現場における教材の作成や教授法の工夫などがあげられよう。

 「社会モデル」の考え方は、「障害」の分析視角としては首肯すべき考え方であると思う。そもそも障害者と健常者を分ける「一定の基準」とは社会が策定したものである。人間を区分し、選別するのは本来的には社会の側なのだ。ミッシェル・フーコーが「狂気」について語ったように、近代社会は「医療」の名のもとに障害者を治療の対象として分類し、病理学的症候としてカタログ化したということだろう。

 ただ、社会の側が変われば、「障害」のあり方も変わるだろうという点については、若干の違和感を感じないわけにはいかない。マクロ的な視点として、つまり社会全体の分析視角としてはまったく異論がないが、社会が変われば障害者問題は解決されるのだという思考が、形式化・平板化して流布することで、困った問題が生じないかという危惧を感じる。日本の社会、とりわけ教育業界の振り子は、往々にして、必要以上に大きく振れることが常なのだ。

 第一に、社会の側が本当に変わるのか。あるいは変わっていいのか、という点である。社会が変わって障害者がゼロに近づくことは、障害者の立場からは確かに理想だ。社会は少しずつでも変わってゆけばよいと思う。けれども、余裕がある時だけでなく、困難な時も障害者のために力を尽くす社会、それを強要される社会が、本当にいい社会なのかどうかを判断するには若干の躊躇がある。人間の理性によって理想的な社会を作り上げるというのは、いわば設計主義である。人間の自由や欲望の抑圧の上に成り立つ思考だ。困難な状況の中で、自分のことで精いっぱいという人を誰も責めることはできないし、それはその人の生存の自由を脅かすことでもある。そして、どんな時代にもそういう事情を抱えている人たちは存在するということを忘れてはならない。

 第二は、障害は治らないのだから、「配慮」して「支援」さえすればよいのだという風潮が蔓延することへの危惧だ。目の見えない人に、目が見えるよう促しても無意味だ。だから、支援と配慮が重要だというのは、その通りである。けれども、それは極端な例だ。そのことをすべての障害に敷衍して考えてしまっていいものだろうか。障害は治らなくとも、その人の機能を向上させ、自分でできることを増やすということは必要ないだろうか。困難でも頑張ってやり遂げ、達成感と喜びを味わうということは必要ないのだろうか。「社会モデル」の概念が形式化・平板化して流布する中で、社会が変わればよいということが拡大解釈され、児童生徒を成長させ伸ばすことが結果的に軽視されることに強い危惧を抱く。教育現場で「配慮」と「支援」という言葉が意味を失った記号(浮遊するシニフィアン)のように飛び交うのを見るにつれ、その思いを強くしてしまう。実際、先日の研修会でも、講師の大学教員は、児童生徒をいかに成長させるかということより、便利グッズを使って「配慮」して「支援」するという部分に熱弁をふるっていた。「努力させてもしょうがない」、ともいっていた。教師の仕事は、近視の人に良い眼鏡を探してあげることだけなのだろうか。

  

中島隆信『新版・障害者の経済学』(東洋経済)2018

茂木俊彦『障害児教育を考える』(岩波新書)2007