特別支援の不思議な世界

高校教師だった私が特別支援学校勤務をきっかけに知ったこと考えたこと

個別の指導計画

 特別支援学校には、私のように普通の高校から異動した教師には初体験のものがいくつもある。「個別の指導計画」もその一つだ。

 特別支援学校学習指導要領は、次のように述べ、特別支援学校のすべての指導において「個別の指導計画」なるものを作成・活用することを義務づけている。

各教科等の指導に当たっては,個々の児童又は生徒の実態を的確に把握し、個別の指導計画を作成すること。また、個別の指導計画に基づいて行われた学習の状況や結果を適切に評価し、指導の改善に努めること。

 「個別の指導計画」は特別支援学校に在籍する児童生徒一人ひとりについて、障害による課題を分析し、何を、どのような方法で身に付けさせるかを記すものだ。文部科学省から一応の様式の例が示されているが、それぞれの学校でかなり違うものになっているのが実情のようだ。以前勤務した学校では、分量もかなり多く(高等部の場合ならA4版5枚で裏表のものも多かった)、主事や主幹教諭、教頭らのチェックが厳しかった。私は年長だということかあまりチェックをうけなかったが、周りの先生方は句読点から漢字表記や仮名遣い、特別支援的言い回しなどたくさんのチェックを受け、辟易していた。その時々の教頭によっていうことが違ったり、個人的に好みの表現を押し付けられてスカスカの凡庸な文章にされてしまうことも多かったらしく、ご立腹の先生方も多かった。一方、現在の勤務校では分量は少なく(高等部はA4版2枚で表のみ)、内容も簡素で構わないようだ。チェックも比較的ルーズだ。その意味では負担が少なく楽でよい。

 私自身はといえば、「個別の指導計画」を作成し評価することで生徒の現状と自分の指導を整理できることは確かであり、うまく使えば有意義なものになると考えている。しかし一方、学校組織の中でそれを可能にするのは、現実にはなかなか難しいのではないかとも思う。

 現在の勤務校のように分量が少なく簡素で構わないものは、負担も少なく取り組みやすいが、生徒の分析や自分の指導法を十分に整理できず、作成する意味そのものに疑問を持ってしまう。しかし一方、前任校のように分量が多く、チェックが厳しすぎると、日々の仕事に占める負担が大きくなり、次第に「個別の指導計画」を作成することが自己目的化してしまう。作成すること自体が目的になってしまうということだ。

 学習指導要領には「個別の指導計画」の作成・評価の目的が記されているが、実際には教頭らのチェックは対外的な意味で整った文書を作成することに主眼が置かれ、その結果、一般社会とはかけ離れた漢字表記や仮名遣い、特別支援用語を使い、特別支援的な言い回しによる《専門性》テイストの文書が作成されることになる。私にとっては、特別支援の不思議な世界である。

 正直、私は《開かれていない》、と感じている。インクルーシブ教育を提唱する特別支援教育であれば、もっと開かれたものであるべきなのではなかろうかと考える。特別支援用語をちりばめた《専門性》に籠城するのではなく、言葉の上でももっと自らを開いていくことが必要ではないだろうか。