「発達障害」とは、単一の障害名ではない。「自閉症スペクトラム障害(ASD)」のほか、「注意欠如多動性障害(ADHD)」「学習障害(LD)」などを含む大雑把で包括的な概念であり、それらの総称である。
総称にすぎない「発達障害」という言葉が使われるのは、この障害をもつ人々が、《多数派》の《ふつう》の人々から見て理解しがたい異質な人々として一括りにして認識されてきたこと。また,研究史上も古くはこれらの異質さの究明に焦点が当てられてきたことに起因するものと考えられる。
しかし、研究が進んだ今日的立場からも、この言葉が使われる理由は依然として存在するものと思われる。それは、ASDとADHDの重複型が多数存在すると考えられているからだ。例えば、サム・ゴールドシュタインらの研究は、成人のASDの59%がADHDの診断基準を満たすと報告しており(2004)、ケイト・ジョンストンらは成人のASDの36.7%がADHDの診断基準を満たすと報告している(2013)。
岩波明氏は、重複型の場合でもASDとADHDのどちらか一方がメインの症状であるのが普通だとしながらも、臨床の現場での見極めの難しさを指摘している。一方、本田秀夫氏は、ASDとADHDの重複により、ASDの特色である「こだわり」が弱くみえてしまう例などをあげながら、重複型の複雑さと臨床の現場でそれを理解することの難しさを説いている。本田氏によれば、発達障害の専門家でも、重複に注目している研究者は少数なのだという。
これらのことから、本来は総称にすぎず、大雑把で包括的な概念である「発達障害」という言葉が障害名のように使用されることには、今日的にも理由のあることだと考えられるのだ。
平岩幹男『自閉症スペクトラム障害』岩波新書2012
岩波明『最新医学からの検証 うつと発達障害』青春新書2019
本田秀夫『発達障害』SB新書2018